天守がある愛媛の城
現状による天守の分類
天守はその忠実さによって、現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守の4つに分類されます。
現存天守
江戸時代以前に造られた天守が現代まで現存しているものを現存天守といい、現在では全国で12か所しか残っていない貴重な建造物です。
愛媛には松山城と宇和島城の2城がありますが、現存天守が2か所以上あるのは愛媛県だけです。
復元天守
古資料や古写真などの詳細な資料を基に忠実に再建されたものを復元天守といいます。
木造で内部まで忠実に復元した木造復元天守と、鉄筋コンクリート造などで外観のみを主に復元した外観復元天守に分けられます。消防法や建築基準法の制限を受けるため木造での復元は難しく全国に5か所しかありません。
愛媛では大洲城が木造復元天守に分類されます。
復興天守
十分な資料がなく忠実な再現が難しいため、専門家の補足推定や他の城を参考にしながら再建したものを復興天守といいます。
愛媛にはこの分類の天守はありません。
模擬天守
もともとは天守が存在していない城や位置に近現代になってから新たに造られたものを模擬天守といいます。
全国で観られる天守で最も多いのがこの模擬天守です。忠実では天守を持たない城や、天守はあったが忠実とは位置が異なる城など、どこまで再現されているかは城によって異なります。
愛媛では今治城と川之江城が模擬天守に分類されます。
天守がある愛媛の城
松山城
現在の天守は1852(嘉永5)年に再建されたもので、現存12天守のなかで最も新しく、江戸時代最後の完全な城郭建築といわれています。
武家諸法度により新たな築城や増改築が禁止されていた時代に再建が許された理由は定かではありませんが、伊予松山藩が親藩であったことが要因の一つと考えられています。
宇和島城
現在の天守は1666(寛文6)年頃に再建されたものです。全国で12か所しか残っていない現存天守の一つです。
大洲城
現在の天守は2004(平成16)年に再建されたものです。往時の姿の通り木造で復元されています。
今治城
現在の天守は1980(昭和55)年に再建されたものです。天守の実在について明確な資料が少ないため、忠実に基づかない模擬天守として建てられました。
川之江城
現在の天守は1986(昭和61)年に再建されたものです。旧川之江市の市制施行30周年記念事業として犬山城天守を模して建てられました。
天守の役割
天守の役割
戦国時代における天守の役割は城の最終防御拠点で、籠城戦で追い詰められた際に立て籠もる施設です。最後の砦としての役割が大きく、日常的な居住は目的とされていません。
大名の住居は御殿と呼ばれる建物で、本丸や二之丸などに造られました。二条城(京都府)の二の丸御殿や高知城(高知県)の本丸御殿は江戸時代以前から現存していて、当時の調度品や書院建築を堪能できます。
愛媛県内の城に御殿は現存していませんが、松山城では藩主の邸宅であった二之丸邸の間取りが遺構の上に表現され、二之丸史跡庭園として有料公開されています。
天守で暮らした人物
天守は城のなかで最も目立つ象徴的な建物であることから、お殿様が暮らしていたと思う人も少なくありません。
実際に天守で暮らしていた人物は一人だけ存在していたといわれています。本格的な天守を最初に造ったとされる織田信長は、安土城天主の内部を豪華な障壁画などで飾り、自らの居住空間としていました。(※安土城のみ天守を天主と表記します)
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